芋の独り言

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現段階のAIは,全て”まぼろし~”

参考1にあるように,今AIと呼ばれているものには,技術だけでなく,現段階の技術を用いて作られた製品も含めて呼んでしまっている. 人工知能(Artificial Intelligence:AI)は一分野もしくは技術を指すものであって,製品のことではない.私の手元にある2012年発行の国語辞典で その意味を調べてみると,

じんこう【人工】
自然物や自然の状態に人間が手を加えて新たなものを作り出す(別の状態に変える)こと.⇔自然
ーちのう【ー知能】
電子計算機に,高度の判断機能を持ったプログラムを記憶させ,大量の知識をデータベースとして備えて,推論・学習など人間の知能の働きに近い能力を持たせようとするもの.AI.

とあった.この意からしても,現状の何でもかんでもAIと呼ぶのは間違いであると分かるはずだ.また,”大量の知識をデータベースとして備えて”に関してはほぼ実現されている(文法といった言語理解は不十分) といってもよいかもしれないが,”推論・学習など人間の知能の働きに近い能力”を備えているものはない.例えば,スマートスピーカーはあらかじめプログラムに組んである応答文スクリプトでユーザに会話しているかのように 錯覚させているだけで,意思疎通ができているわけではない.そもそも,これらは意思を持っていないただのプログラミングされた機械であり,”高度の判断機能を持ったプログラム”がまだ開発されていない.
国語辞典の”人工”の意から”人工知能”という言葉を考えると,生物的な”知能”を人間が手を加えて機械的な状態にすることを指すはずである.そして,通常”生物的”なものは有機物でできたものであり,”機械的”なものは 無機物でできたものであると考えられる.つまり,人工知能は無機物で再現した知能である.この点でいえば,MARVELのヴィジョンやウルトロンは人工知能の定義通りのものであるはずだ.しかし,以上は現実の では,”知能”とは何なのか?はっきりとした定義はまだなされいないが,またしても国語辞典を参照すると,

ちのう【知能・智能】
頭の働き.知恵の程度.
ちえ【知恵・智慧
㊀生まれつき備わった頭脳の働きとしてとっさの判断や的確な処理が出来る能力.
㊁Ⓐ当面の問題を解決する(乗り越える)ための,よい考え.
 Ⓑ新しいものを追求し,分からないことを解決していく能力.

とある.”頭の働き”とは脳の働き,とりわけ大脳皮質で行われる高次機能処理を指すものであると考えられる.知能≒知恵ならば,㊀は前頭葉の働きを指す.㊁Ⓑは能動学習や自律進化,人間における探求心といった 強欲な知への欲求を指すと考えられる.どの意に関しても,現状のAIという嘘やまぼろしは満たせていない.現AIに”とっさの判断”が出来るならば自動運転は99%完成しているが,現実はそうではない.現AIは能動学習ができない.それを再現しようとする試みはあっても,未だ開発段階である.現AIに学習させるには人間側からデータを与えてやる必要があり,受動学習でしかない.また,ディープラーニングのようなデータを与えられて以降,システムが自動でパラメータ調整する様は自律学習・進化に見えるが,実際はプログラムがループしているに過ぎないと思われる.原理的には近しいものがあるが,人間における自律学習・進化とは全くもって異なる.



現状ではAIなどというものは存在せず,今AIと呼んでいるもは人工無能と言ったほうが相応しい.現AIはただのプログラム,もっと言えばただの0と1の数字の羅列に過ぎない.演算能力は人間を超えるものがあるが,知能と言える存在ではない.知能を再現するには情報科学だけの知見では足りなず,脳科学倫理学・哲学なども必須である.脳のニューロンネットワークと銀河系の構造は似通っているものがあるため, 場合によっては天文学にまで及ぶかもしれない.解析ツールとして使いたいだけならば情報科学の知識だけで事足りるが,人工知能の再現が最終目標ならばそれだけでは足りず,現状足りていないと考えられれる. 現状の何でもかんでもAIと呼ぶ風潮は間違いであり,使用する側の我々はAIという言葉に騙されてはならない.
しかし,現状のAI技術でも役に立っていることはあり,無駄な技術ではない.人間のサポートという点では大いに有効であると考えられる.人間ためのアシスト装置ならば,反乱を起こすことはない.それと同時に 最終的な判断や責任は人間が負わねばならない.そのためには,アシスト機能を提供する人間はメカニズムをきちんと把握し,事故が起こった場合は責任を取る必要がある.責任という点で,アシスト機能に対する安全工学は必須であるが,日本ではあまり盛んではない.現AIというアシスト機能に対する安全工学は政府が主導して行うべきことと言って間違いではないくらい重要である.また,アシスト機能を作って提供する人間と,それを使用する人間それぞれの倫理観の統一・共有も必要であるように思われる.
AIと呼ぶよりも,かつてIBMが提唱した”cognitive computer(認識のコンピュータ):CC”と呼ぶほうが相応しく,名称としては人工無能かこのCCを普及すべきだではないだろうか. また,CCはあくまで人間のアシストとして用いるのが適していると考えられる. コグニティブコンピューティングに関しては,”Steins;Gate 聡明叡智のコグニティブ・コンピューティング”が分かりやすい例であったが,残念なことに,現在は公式サイトもなく,動画も公開されていない.

参考

  1. JSAI2019 招待講演1:「人工知能」をどのように読み解くか 講義資料
  2. IBM提供のシュタインズ・ゲートの短編アニメを見てコグニティブ・コンピューティングの未来を考えさせられた:一般システムエンジニアの刻苦勉励:オルタナティブ・ブログ
  3. Steins;Gate 聡明叡智のコグニティブ・コンピューティング
  4. 人間ってナンだ?超AI入門 - NHK