我々が見ているのは,というより我々にとってこの世界は現実だ.
現実であって,真実というのとは違う.
我々にとっての現実が,誰かの妄想や夢であると証明することはできないだろう.また,その逆も不可能.
フェルマーの最終定理とか証明が難しい定理は多々あるけれども,
我々の世界が真実なのか幻なのかの証明はどの定理の証明よりも難しい.
”妄想代理人”を視聴すると,より強く以上のようなことを考えるようになった.
というよりも,以前は夢とか妄想というのに着眼していなかった.
世界線・平行世界がメインだったのだが,自分自身も誰かの妄想の中の登場人物の一人なのではないか?と考えるのがマイブーム.
自分自身も誰かの妄想の中の登場人物の一人なら,きっと,私はモブキャラだろう.
主人公には主人公補正があるから何をやってもうまくいく.
ストーリーつまり運命は妄想の主もしくは作者によって既に決められている.
モブキャラやヴィランがいくら努力したところで,主人公(ヒーローやヒロイン)には勝てないのはそこにある.
我々にとっての現実の構造も同じだろう?特定の誰かさんだけが勝っていい思いをするようにストーリー構想されているんだよ.
モブがいくら努力したって無駄ってことだな~
”ジョジョの奇妙な冒険”における”眠れる奴隷”もまた,以上と同じことを指示しているような気がしてきた.
我々は認識していない,いや,できないけれども,我々は運命という名のフィクションの中にいて,そこから逃れることはできないと.
悲しいかな.この世の全てがのことが馬鹿馬鹿しく思えてこないか?
テレビの中の世界は特にな.
上手くいかないことがあっても,それが運命なんだと受け入れるしかないってことだな.深く考えすぎず,道化師を演じるのが最もラクというか幸福な生き方なのかもしれないな.