芋の独り言

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オリンピックのあるべき姿

オリンピックが平和の祭典というが,そのようには思えない. いまやスポーツは代理戦争の体を成しているとみえる. 平和の象徴たるならば,政治や国家権力が介入することがあってはならないが,現状そうではないように思う. 大河ドラマ”いだてん”(私は中々に面白いと思う.龍馬伝は越えられないが.)を視聴していると, 嘉納治五郎あたりからIOCへの賄賂や接待が始まり,ベルリン五輪前後から国家が五輪に介入をはじめ, スポーツが代理戦争となってきた. スポーツが国家間の代理戦争であってはならないし,それは柔道を始めとする武道の精神ならびにスポーツの精神に反する. スポーツは決して個々との争いではなく,試合の相手もまた互いに切磋琢磨し精神を鍛える仲間である. 倒すべき敵ではなく,リスペクトすべき対象である. 試合の時は全力を持って戦い,試合が終わればラグビーの”ノーサイド”に象徴されるように敵味方なく称賛しあう. そして,試合を観戦して選手を応援する人々も,また,試合が終われば相手への賛辞を贈る. スポーツを通じて,多種多様な人々が相互理解し,讃え合い,楽しむ姿こそオリンピックのあるべき姿だ.

なぜ,オリンピックもといスポーツの世界大会が代理戦争の体を成し,国によってはドーピングや勝つためにスポーツの楽しさを忘れさせ 軍隊のように選手を育てているようになってしまったのか. やはり,それは世界大会が国代表制であるからであると私は考える. 国代表であるから,選手は国の代表として大会に望むことになり,それが代理戦争のように見える. だからこそ,国代表制ではなく,地域代表制にすべきであり,オリンピックに関してはオープン参加の大会にすべきであると思う.
また,オリンピックに関して,毎回異なる国家主催の大会にしてしまっていることも,スポーツに国家権力を介入させる機会となっている. そこで,私はオリンピック発祥の地ギリシャアテネで毎回オリンピックを開催すべきであると思う. そして,大会は国家権力を排除したIOCが完全運営すべきである. 各国がベルリン五輪ヒトラーによるプロパガンダと揶揄しておきながら,現オリンピックの開会式・閉会式は開催国のプロパガンダ となっていると思われる.

来年日本の東京でオリンピックが開催されるわけだが,よくよく考え,平和の祭典として開催してほしいものだ.