芋の独り言

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ハガレン新アニメ版※ネタバレ注意

ざっとですが,新版アニメ一通り見ました.

最後のEDが2番目のOP曲なんですね. OP1の”again”は悲しめ?,OP3の”ゴールデンスランバー”はホムンクルス達との全面対決が始まるという感じで自分たちの生きる競争社会を表すような曲で,最後のOPの”レイン”はハガレン最終決戦の曲で少し哀愁を感じるような,そんな感じの曲だと思うので, 最後の締めとしてはOP2がベストかもしれないですね. 個人的には”ゴールデンスランバー”ですね. 現代社会を生きる上でのアドバイスのような歌詞であり,曲調としても好きですね.

私的にはホムンクルス(おとうさま)の最後がなんか可哀そうに思えました. ホムンクルス本人としてはただ知りたかっただけなのに. 行き過ぎた探求欲はときに罪になるということですね. 自分の力でなく,他人の時間や力を代償にしては何も得られないということですね. そして罪は一生背負っていくものなんだと. ホムンクルスジョジョでいうカーズでしたね. カーズも神になりたくてエイジャの赤石を求め,最後は地球から追放されるというのが, ホムンクルスが全知全能になりたくて賢者の石を求め,最後に神によって扉の向こうへ追放されるというのが似ています.

ざっと一通り見ることでホーエンハイムの良い人感が分かりました. 良い人で親バカなトコもある人だったと. ホムンクルスとの戦いで身を挺して守ったり子の前でカッコつけたいみたいなセリフを言ったり... そして,最期はトリシャの元に戻って来れて良かったなぁと. 最期のセリフはグリードの最期とほぼ同じでしたね. 外見としてはブラッドレイと同じで,神が白くなって急に老け,皮膚に錬成の後みたいのが残るのが. 言ったセリフに関してもブラッドレイもホーエンハイムほどではないにしろ充実した人生だったと言って満ち足りた表情で去っていきましたね. 最期は笑って満足した顔で逝くのがカッコイイといいますか, 私自身もそうでありたいなぁと思います. この死に方っていうのは”北斗の拳”のラオウの”わが生涯に一片の悔いなし!”と自ら天に帰るというシーンと同じなのかもしれません. 最後まで生や欲に執着するのは醜い生き様ですよね...

全体を通して等価交換つまり質量保存の法則に則り,代価として痛みに耐えた者だけが成長でき何かを得ることができる, っというのがメッセージだったのかなと. ”ジョジョの奇妙な冒険”でいう,矢のウイルス?に耐えた者だけが褒美としてスタンド能力を手に入れられるという五部でのポルナレフの矢の解説 と同じものを感じます. 私自身何か痛みに耐えるという事が経験として足りていなかったかもしれないなと思い, 今後は何者かになるために,自身が成長するために, 痛みを伴う経験や自身がやりたくないと思うようなことも挑戦していく必要があるなぁと感じました. ”痛みによる教訓”ってのは”進撃の巨人”でリヴァイ兵長も言及してましたね. 成長し理解し合うために”痛み”に耐えることが大切なんですよね. そして,この”痛み”に耐え忍ぶ者を”NARUTO”的には”忍び”ひいては忍者というのだと. そういうことですよね. 忍びを目指し精進しなければ.

のばまんさんの実況動画で”健全な魂は健全な肉体に宿る”っていうのをシムズにやろうとして失敗したものがありましたが, 肉体が重要なのではなく, 痛みに耐えうる精神にこそ健全な精神が宿るのだとハガレン等のアニメを見て思いますね. まぁ,痛みに耐えうる精神を育成する練習として,まず,肉体を鍛えるというのは一つの方法なのでしょうな. だらしない肉体に健全な魂は宿らんでしょう. 肉体とともに精神を鍛え充実させることが生きる上で重要なのです.

グラマンは狸といいますか,敵に回したくないですね. チェスの相手ならいいですけどね.

ホムンクルス(おとうさま)の作ったといいますか分身のホムンクルス達について,疑問なのは, ブラッドレイは元人間だから議論から除外するとして, セリムとエンヴィーは本体というものがあるのに対し, 他のホムンクルス達は本体というのはなかったように見え賢者の石を破壊すると霧散していくという 違いがある?という点ですね. エンヴィーも賢者の石がコアで最期自身で賢者の石を取り除くことで自害し霧散していきましたが, セリムに関しては幼児退行ってやつですかね,いや,まぁ,体は胎内サイズで記憶がなく, その後のストーリーとして別人格としてブラッドレイ夫人が育ててられ幼児になっていました. その際にセリムの額にマークが出ているのが,前のセリム(プライド)との違いでもあり... よく分かりません.

真理の扉に関して,個々が各々固有で持っているというのは旧版と同じですね. ただし,真理の扉の性質が全く異なります. エドは自身の真理の扉を代償にアルを現世に復活させましたが, 旧版では扉の向こうのパラレルワールドに行くことが代償となっていました. 真理の扉というのは心理の扉なのかもしれませんな.

EDでエドウィンリィが結婚(籍は入れてないかもしれないが)して子供が生まれることが描写?されてますが, その前に錬金術が使えなくなった(自身の真理の扉を代償としたため)エドウィンリィとイチャラブした後に汽車で西方へ, 数年たってガリガリでなくなったアルがキメラのおっさん達とともにシンもとい東方へ旅立つわけですが, この旅立った後の兄弟の体験談を劇場版でやればよかったのになぁと思います. ”ミロスの聖なる星”はちょっと... ちなみに,EDでもう二人のキメラのおっさん達はヨキとともにサーカスやっている描写がありますね.

また,原作のマンガの方とOVAを今後見ていきたいですね. 新旧合わせて今一度見直すのもアリですね.