芋の独り言

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本の中の住人

マンガやアニメで天才たちの心理バトルというテーマの作品や天才設定のキャラがいたりするわけですが, マンガやアニメの中のキャラクター達(=本の中の住人)の知的レベルもしくは頭脳というのは原作者もしくは制作チーム(我々の世界のね)の知的レベルもしくは頭脳 を超えることはないと考えます. 口汚く要約すると,バカには天才キャラは描けないということです. マンガでアインシュタイン並みの頭脳のキャラクターを描くならば,アインシュタイン以上の頭脳の持ち主でないとそのようなキャラクターは描けないわけです. 無理にそういうキャラを描こうとすると作品設定のどこかに矛盾が生じ,フラグ回収できなくなりますね~ チームで作品を描く場合は個々の頭脳の加算になりかな~と思いますので, そういうキャラをどうしても描きたいならば単独でなくチームプレーで描いた方がいいかな~と思います. なので,私には到底天才キャラなど描けません... 描ける気がしませんね~

ここまでは創作についての話で, ここからは”プラトンの洞窟の比喩”みたいな意味合いでの”本の中の住人”について述べます. 以上で本の中の住人は本の原作者もしくは制作チームの頭脳を超えないと述べましたが, 我々の世界にも適用されるルールなのではないかと思うわけです. つまり,我々もまた”本の中の住人”で,我々が認識するこの世界(線)は我々の最高頭脳を超える神とでも呼べるような存在によって描かれている 本もしくは物語なのではないか?ということです. この世界の原作者はアインシュタインやリーマンを遥かに凌ぐ頭脳を持つ存在であり, 我々がどうやってもその存在を認識することはできないわけです. マンガやアニメの中のキャラが我々の存在に気づき,対話することは不可能であるのと同じように, 我々は真理に到達することもできなければ創造主の存在を認識は出来ないのです.

まぁ,デッドプールは疑似的に我々と対話しましたか. とはいえ,一方的なものであり,作品の中から飛び出すことはありません. 我々もまたこの宇宙から飛び出し,エデンへ向かうなどは不可能なのです.

”本の中の住人”って書くとハガレンの”フラスコの中の小人”ホムンクルスが想起されるかと思いますが, まぁ,それを狙っての”本の中の住人”というタイトルでもあり, 我々もまたこの宇宙というフラスコの中の小人ホムンクルスに過ぎないのだと思うのです. おそらく外側にはイデアや虚無と呼ぶべきものがあって,そこかさらに外で創造主はこの宇宙という作品を描き続けているのだと. 知的生命体特有のこの探求心というやつはその外の存在もしくは真理・真実を知りたいと求めさせるわけですが, 真理に近づけば絶望ととに闇へ追放されるのだなと思います. ちょうどハガレンホムンクルス(おとうさま)のように.