芋の独り言

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礼儀遵守

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この記事は一読すべき記事ですね. 「礼」は善悪の判断ができ自律した人間を前提にしていて,そうした人間は衣食が足りていてできるのであって 中世・近代においては武士といった上層階級のみが「礼」を遵守したと. 一方,中世・近代における農工商は衣食住で手一杯であるから「礼」など遵守できるはずがなく, 「法」で罰する・他律しなければならない. 現代の人間の多くは富裕の差関係なく「法」にしか目がない. 「礼」を重んじる人間はごくわずかだろう. かくいう私も「法」で他律される愚民だが...

言い方を変えると, 「礼」は性善説に基づき,「法」は性悪説に基づいている ,と言えるかもしれない. 法治国家というものは善人もまとめて性悪説に基づき民を罰して支配するというのが実体で, 非文明なものなのかもしれない. 「法」ではなく,国民全員が「礼」に重んじる国を目指すべきだろう. 「礼」を守らねば「国体」は守られぬ.

「礼」が時や人によって変わる,つまり,TPOに応じた「礼」. その時々で最善の敬意を表す気遣いのある言動を行う. 「礼」を守ることは「法」を守る事よりも厳しく難しい. しかし,支配者にとって都合の良い私利私欲な悪「法」に「礼」は抵抗する. 知的生命体が目指すべきは「礼」の姿だ.

私自身これまでの生活を改め,「礼」を重んじなければ... といって,ついついだらけてしまうんだがなぁ~ イカン,イカン,それでは...

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と,「礼」が大事なのだと,書いたわけだが, 私が昨今見ているYouTubeの動画のコメント欄で 「あれは日本の礼じゃなくてコンス」っといったものをいくつか見かけ, 気になって調べてみたからであった.

日本の礼儀作法,お辞儀の仕方では, 肘を曲げて手を前で組むのは無礼とのこと. そのような無礼な作法は朝〇式というわけだ.

礼は相手への敬意を表するとともに, 円滑なコミュニケーションを行うために相手が不快に思わないように行為に気を付けることだ. 思いやりの精神だ. そのための所作というものがあり, お辞儀においては手は曲げずに自然に膝の上にくるように腰からまげて頭を相手に差し出すのが 正しい,ということで合っているだろうか...? 相手への敬意を表するとともに, していただいたことに対する感謝を表す所作でもある.

神棚や鳥居に礼をするのは恵みを我々に与えてくださる神様もとい自然に対する感謝と敬意の表現なのだ. お墓や先祖の写真に礼をするのは祖先の方々がいなければ, 祖先の方々が日本国のために家族のために懸命に働き戦ったから今の我々がいるのであって, それに対する感謝を表したものだ. 言葉にすると「ありがとう」なのだ.

全は一,一は全じゃないが,様々な者や物によって私は支えられ今存在し得るのであって, 本当に感謝しかないし, 雑に扱った(服を床に脱ぎ散らかしたままにしたりとか)ことは申し訳ないと思う. 日本国の「礼」の精神を今一度確認しなければ.

一番最初の記事にも書いてあるが, 日本における礼儀作法というのは, 武家の礼儀作法が庶民に伝わり日本国で一般的となった”小笠原流礼法”というものだそう.

この”入門小笠原流礼法”という本でマナーを学び直そうと思う.